

過去の説教
2026年11月1日
「すべての生き物との契約」
横須賀上町教会主日礼拝(降誕前第8主日) 2026.11.1 杉野信一郎
「すべての生き物との契約」
聖 書 創世記9章8~17節
中心聖句 創世記9:9-10 わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。
讃 美 歌 386、425
1 召天者記念日(導入1)
毎年11月の第一日曜日は、日本基督教団では聖徒の日・永眠者記念日と定めており、私たちの教会でも、本日の礼拝を、神のもとに召された信仰の先達たちを覚えて「召天者記念礼拝」として守ります。
先々週の礼拝で私たちはヨハネの黙示録7章のテキストを示されましたが、そこでは天に召された聖徒たちが白い衣を着て神を礼拝している天上の教会の幻が描かれておりました。その中には、かつて横須賀上町教会で信仰生活を送られていた私たちの諸先輩方も含まれているでしょう。そしてまた、ここにいる私たち自身もやがてその大群衆の一人として加えられることになるでしょう。
しかし、今日は、私たちの信仰の諸先輩方、それからもっと以前に天に召された諸先輩方も、この横須賀上町教会の礼拝堂の見えない二階席に列席されて、私たちとともにここで礼拝を守り、私たちと一緒に御言葉に耳を傾け、祈り、賛美しておられるのです。この「召天者記念礼拝」では、ただ単に、召天された方々を思い出して懐かしむということではなくて、天にある者も地にある者も、一つの礼拝の民となって一人の神を賛美し、祈りを献げる喜びを分かち合うのです。
そして、今日の召天者記念礼拝では、そのことに加えて、昨日、天に召された一人の教団教師のことを覚えたいと思います。2010年1月、日本基督教団の教師委員会は、当時、神奈川教区の紅葉坂教会の牧師であった北村慈郎教師に対して免職を決定しました。処分の理由は「未受洗者への配餐を行った」というものでした。今日はその問題の詳細を説明する暇はありませんが、この問題に全国の教会から抗議の声が上がり、処分から16年を経た今、五千人もの処分撤回を求める署名が集まりましたが、教団は対話の姿勢さえ見せないまま、北村慈郎教師は天に召されました。しかし、天に召されたからと言って問題が解決されたわけではなく、む しろ当事者が天に召されるまでこの問題と向き合おうとしなかった教団の姿勢は、決して忘れ去ってはならないと思うのです。この問題に関心を持って頂ける方は、リーフレットがありますので、是非、目を通して頂きたいと思います。
さて、今日の聖書は、教団の聖書日課から、創世記9章8節~17節の箇所を取り上げました。昨今、異常な猛暑やゲリラ豪雨などの異常気象がもはや異常ではなく日常のことになっていますが、こうした異常気象は、地球温暖化による気候変動の影響によるものであると言われており、その原因は、人間の生活や産業活動によって排出された温室効果ガスにあると言われています。そして、仮に世界各国が設定している現行の温室効果ガスの削減目標を達成できたとしても、今世紀中に世界の気温が2.8度上昇すると言われています。果して、この世界は、このまま地球温暖化の流れを止められずに滅びてしまうのでしょうか。私たちは、こうした事態になす術もなく、この地球の運命を傍観するしかないのでしょうか。キリスト者は、これを聖書が語るところの終末と受け止めて、温暖化によって地上のすべての生き物が滅亡する日を待望すべきなのでしょうか。
2 悪 の増大と洪水による破壊(展開1)
今日お読みした創世記9章は、第6章から始まったノアの洪水物語の締めくくりの箇所ですが、この箇所は、単にこの世界がどのようにして造られてきたかという単なる過去の話ではなく、地球規模の環境危機に直面している私たち現代を生きる者にとって、極めて重要なメッセージが示されている箇所であると思います。
ノアの洪水物語のはじめの6章では、神が、地上に人の悪が増し、いつも悪いことばかり思い計っているのをご覧になって、心を痛め、地上に人を造ったことを後悔し、この地上から人間を他の生き物もろともぬぐいと去ってしまうと決意して、大洪水を起こされたということが記されています。けれども、その中で、神様は、ノアが神に従う無垢な人であるのを認めて、ノアとその家族を選び、大きな箱舟を造らせてノアの家族と生き物一つがいを生き延びさせ、新しい世界を始めようとされます。「無垢な」と訳されている言葉は、先週取り上げたヨブにも用いられていますし、生贄の動物にも用いられている形容詞で、ノアは、ヨブのように完全で穢れ無く、神のお眼鏡に適った人であったというわけです。そのノアの家族と生き物たちは、洪水からが起こってから1年後、ようやく水の引いた大地に降り立ったのでした。そこでノアは、祭壇を築いて神に焼き尽くす献げ物を献げると、神は、その宥めの香りを嗅 いで地上の生き物を滅ぼしたことを後悔し、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。生き物をことごとく打つことは、二度とすまいと決意します。そして、ノアと彼の息子たちを祝福し、契約を結びます。今日の聖書箇所は、この契約の部分ですが、まずは、その前の9章1節から7節の祝福の部分を見ていきましょう。
3 再創造と祝福(展開2)
祝福では、三つのことが言われています。
まず、一つ目は、「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」ということです。これは、創世記第1章28節に記されている祝福とまったく同じで、神は、洪水後の新しい時代においても、最初の天地創造の際に与えられた祝福をそのまま更新しています。ところが、それに続く二つ目の言葉は、最初の創造の時とは異なり、植物については語られず、専ら動物について語られます。それは、洪水によって滅ぼされたのは、動物に限られていることと関係しているかもしれません。その動物について語られた言葉ですが、神はこのように語られました。「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。」最初の天地創造の際には、「全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。」と語っていました。神は、人間を最初、ベジタリアンとして造られたのですが、洪水後の世界では、肉食を許可されたのです。そのため、「地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、」人間の「前に恐れおのの」くこととなりました。すべての動物たちの命は、人間の手に委ねられることとなりました。これが、洪水後の再創造された世界の秩序です。そこでの人間と動物の関係は、「狼は小羊と共に宿り、幼子は蝮の巣に手を入れる。」とイザヤ書に記されているような、天地創造当初のユートピアのような関係ではもはやなく、今日の現実世界における人間と動物との関係そのものです。神は、何故、世界の再創造に際してこのような変更をされたのでしょうか。聖書はその理由を明記していませんが、私は、その謎を解くカギは、8章21節に記されている「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」という神の言葉にあると思うのです。天地創造の当初は、確かに、人間とすべての動物は、互いに命を奪い合うことの無い、ユートピアであったことでしょう。しかし、人間が程なくして善悪の知識の実を食べたことにより、このユートピアの秩序は崩れました。人間は、神のような知識を得、自由な意思を持ちました。それと同時に、神から隠れることも覚えました。そして、エデンの園から追放されて、労働により食する者となりました。カインは畑を耕しましたが、アベルは牧羊を生業とし、羊を生贄として神に献げ、神はそれに目を留められました。その時から人間は動物を殺して生きる者となり、神も殺生を認めてきたのです。また、人間は自由な意志を持って生きる者となりましたが、それと同時に人間による悪も増大していったのです。神は、それを見て、洪水によって世界の刷新を試みたのですが、無垢な人ノアをもってしてもその本性は生まれつき悪なのであり、洪水後の世界も、結局、人間の悪が増大していくことに変わりないということに気付いて後悔されたのでしょう。そのような自由な意思を持ち、悪なる本性も持っている人間の在り様をそのまま認めた中での新しい秩序が肉食の許容ということであったのだと思います。但し、この肉食の許容については、一つの制約が課せられました。「ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」これが、神の祝福における三つ目の言葉です。血は命の座と考えられており、一義的には、生命に対する神の主権を犯してはならないという祭儀的な意味からその摂取を禁じているものと考えられますが、ここでの血の摂取禁止は、そのことに留まるものではなく、むしろ、血の摂取を禁ずることによって、動物が生きた血を持つ存在であることを人間に思い起こさせ、動物の命を無制限に奪うことに歯止めをかけること、血統を絶やさず種を絶滅させないことに本当のねらいがあるのではないかと思います。
4 すべての生き物との永遠の契約(展開3)
さて、これらの神の祝福の言葉に続いて、今日のテキスト9章8節から17節では、神から洪水によって残された者たちに下された契約の言葉が記されています。「ノア契約」と呼ばれるこの契約には、特筆すべき点が三つあります。
第一点は、この契約は、神からの一方的な恩恵が強調された契約であるということです。私たちは、普通、「契約を結ぶ」という言い方をしますが、聖書の世界では、「契約を切る」という言い方が一般的です。「契約を切る」というと、契約を破棄するように感じてしまいますが、神と人間が契約を結ぶ際には犠牲の動物を切り分けることから、聖書では契約を「切る」という言い方がされることが多いのです。ところが、9節を見ますと「契約を立てる。」という言い方がされています。この言い方には、神の側からの一方的な恩恵としての契約思想が表れていると言われています。
第二 点は、人間のみならず動物が当事者とされた契約であることです。人間の罪や救いのことばかり語っているかのように思われる聖書に記された最初の契約が、動物との契約であるということはとても意味深いものがあると思います。動物が当事者となる契約は、ホセア書2章20節にも記されています。預言者ホセアは、そこで、救済の時代の到来の日に、神は野の獣、空の鳥、土を這うものと契約を結ぶことを告げています。それは、人間の罪悪が人間社会のみならず動物界をも破滅に陥れてしまうからであり、だからこそ、救済の時代には、まず動物界が回復され、人間と自然との調和が回復されねばならないのです。ノア契約において、地上の動物までもが契約相手として名指しされる理由もここにあります。神が自然界をも契約の中におくということは、ヘブライ思想の根幹であり 、人間の救済と自然の救済とを総合的に把握する確かな視座の表れであると言えるでしょう。それは、また、神と人間と自然とが究極的に調和する理想の時代の到来を希求するイザヤのメシア預言に連なる視座でもあります。
第三点は、永遠の契約であるということです。11節で神は「二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」と述べた上で、12節以下で、代々とこしえの契約のしるしとして虹を置き、虹が現れ、それを見るたびに、永遠の契約を心に留め、それを反故にすることがないと言明します。虹は、英語でレインボウ=雨の弓ですが、ヘブライ語でも虹は、弓を意味する「ケシュト」という言葉で表します。神は、武器である弓を手放し、天地の間にこれを置くことで、和解・平和・救済の約束を表したのです。しかも、これは、神の一方的な恵みの約束であり、人間が相変わらず罪なる存在であることを承知のうえで、肉なるものをすべて滅ぼすことがないと人間に語りかけているのです。そして、この恵みの約束の延長線上で、神は、御子イエスをこの地上に遣わし、十字架の死と復活を通して、永遠の命を約束されたのです。その約束は、人間のみならず、すべての生き物に対して告げられていることは言うまでもありません。
この語りかけに対して、神と向き合い、対話する存在とされた人間は、どのように応えていくのか、そのことがここでは問われているのではないでしょうか。
5 人間の自由と責任(結論)
そこで、神は、御自身が創造された世界の中で、人間にどのようなことを求められたかを振り返ってみたいと思います。創世記1章を見ますと、神は、創造の第6日に、「我々にかたど り、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」と言って、人を創造され、彼らを祝福して「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」と言われました。神は、他の生き物を人間の支配下に置かれたのですが、この支配という言葉を巡っては、歴史上、様々な解釈がなされてきました。産業革命が起こった近代においては、この支配という言葉は、王による暴力的な支配がイメージされ、人間は、自分たちの生活の向上や産業の発展のために自然を自由に貪ることを正当化する根拠のように用いられました。その結果、地球規模で大規模な自然環境破壊が進み、それが元で地球温暖化の問題が顕在化してきたのです。今日、そうしたことの反省から、この支配という言葉の解釈が見直され、神が人間に求めている支配とは、神の意思に従って、自然環境を適正に維持管理することを意味しているのだというふうに変わってきました。けれども、長年にわたって自然を貪り続けてきた習慣は、そう簡単には変わらず、相変わらず自然環境破壊は続いており、地球温暖化をはじめとする問題は、もはや手遅れではないかと思われるほどに進んでいます。
では、私たちは、どうしたらよいのでしょうか?
今日は、礼拝の中で歌いませんが、讃美歌426 番の歌詞をご覧ください。2節では、「豊かな生活を支え続けた資源、奪い、無駄にしてきた罪をゆるしてください。」とあります。まずは、これまでの過ちを神に懺悔し、悔い改めて、私たち自身の生き方を改めることが求められているのだと思います。そして、4節では、「あらゆるエネルギー無限にあると思い浪費し荒らした地を新しくしてください。」と願います。結局、破壊された地球を元のようにすることは、私たち人間の力だけでは無理であり、神の力を求めることが、まず必要であるということです。そして5節では、「地球という星は未来の子どもの家。いつまでも共に住む道を示してください。」と祈ります。神の力を求めることは大事ですが、神に願うだけで、自らは、相も変わらず、自然環境のことにはお構いなしという態度、或いは、人間の知識や技術に寄り頼むだけということでは、神のみ旨に適った応答とは言えません。神が私たちに求められているのは、神が創られたこの世界を、未来の子どもたちに引き継ぎ、他の生き物とともに共存していくための道を示してくださいと、神に祈り求めること、そして神の示しにしたがって、今までの生き方を悔い改めて、転換していくことこそが、神に応答する存在として造られた私たちの正しい態度ではないかと思うのです。
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