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過去の説教

2026年6月28日

「神の救済計画」

横須賀上町教会主日礼拝(聖霊降臨節第6主日) 2022.6.28 杉野信一郎

「神の救済計画」

  • 聖  書 使徒言行録13章13~25節

  • 中心聖句 使徒13:23 神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。

  • 讃 美 歌  こ26、399、467


1 人はどこから来て、どこに向かうのか(導入)

皆さんは、人生の歩みの中で「自分はどこから来て、どこへ向かっているのか」と考えたことがあるでしょうか。人は誰も、人生の中で、自分が想定していなかったような出来事、それまでの自分の生き方を揺さぶられるような出来事に遭遇した時、その出来事の背後に、何か大きな意味や意図があるのではないかと考え、その出来事と遭遇したことに大きな意味や方向性を見出そうとします。今日の聖書は、まさにそうした問いに答えるように、神が人類の歴史を通して進めて来られた「救いの計画」を語っています。

使徒パウロは、アンティオキアの会堂で、ユダヤ人と異邦人の前に立ち、神がどのように歴史を導き、最終的にイエス・キリストを通して救いを与えられたかを語りました。その語りは、単なる宗教の説明ではなく、人類の歴史を貫く一本の太い「救いの道筋」を示すものでした。今日は、このパウロのメッセージを通して、神の救済計画とは何か、そしてそれが私たち一人ひとりにどのように関わるのかを共に聞いてまいりたいと思います。

 

2 ピシディア州のアンティオキアへ(展開1)

使徒パウロは、復活の主イエスとの衝撃的な出会いをした後の人生をイエス・キリストの福音の宣教、特に異邦人への宣教活動に献げ、シリア州のアンティオキアの教会を拠点として3回にわたる伝道旅行に出掛けます。第1回の伝道旅行は、紀元47~8年頃、アンティオキア教会の指導者の一人であったバルナバと共にアンティオキア教会を出発し、海を渡ってバルナバの出身地でもあるキプロス島で伝道活動を行いました。それから小アジア、今日のトルコ南部のパンフィリア州ペルゲに上陸し、ここから小アジア地方での伝道活動が展開されていきます。それまでは4節に「バルナバとサウロは」とバルナバが先に書かれていましたが、13節の冒頭では「パウロとその一行は」とサウロの名がパウロに変わり、しかも一行を代表する形で書かれておりますように、ここからはパウロが宣教活動の先頭に立って行ったことがわかります。

ところがペルゲに上陸して早々、同行していたマルコと呼ばれるヨハネが、突然、一行と別れてエルサレムに帰ってしまうという事件が起こります。理由は定かでありませんが、さあ、これから小アジアでの伝道に向かっていくぞという時にその出鼻を挫かれるような出来事であったと思います。しかも、ペルゲからピシディアのアンティオキアへの道のりは、標高1200メートルの山脈を越える険しい山道です。しかし一行は、怯むことなく前進して行きます。それは、彼らの歩みを導かれるのは聖霊なる神だからであり、彼らが持ち運んでいるのが主イエス・キリストの福音だからです。主イエス・キリストの福音を持ち歩く伝道者の足は、彼らが運んでいる福音の力と命に支えられて、力強く、軽やかで、喜びに満ちています。

ピシディア州のアンティオキアは、彼らを派遣したシリア州のアンティオキアと同じ名前ですが、いずれも紀元前3世紀にセレウコス王朝のアンティオコス大王の名に因んで建てられた都市で、ここにもディアスポラと呼ばれる離散のユダヤ人が多く住んでいたようです。一行はアンティオキアに到着すると、安息日の日にユダヤ人たちのシナゴーグと呼ばれる会堂に入って席に着きました。礼拝が始まり、聖書の律法と預言者の書が朗読された後、「何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」との会堂長たちの求めがありました。「何かあれば」という言い方ですから、その場でちょっとした短い話でもしてくださいという程度の勧めであったと思います。けれどもパウロは、このチャンスを逃しません。立ち上がり、前に進み出たかどうかまではわかりませんが、会衆がざわつくのを手で制して、堂々とした説教を語り始めます。

 

3 神の計画と約束(展開2)

パウロは「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。」と言って語り始めます。「イスラエルの人たち」とは、生まれながらのユダヤ人、幼い頃から律法と預言者の言葉を聞いて身に染みている人たちです。そして「神を畏れる方々」とは、ユダヤ人ではないけれども、ユダヤ人の神、聖書の神の真理に救いを求めて、ユダヤ教の信奉者となっているギリシア人などの異邦人のことです。パウロは、まず、出エジプトの話から始めます。「この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。」聞いていた会衆は、それを聞いて「あ、そうそう。神さまは、私たちイスラエルの民がエジプトで奴隷として苦しんでいるのを見て、私たちを神の民として選び出し、モーセを指導者として立ててエジプトの地から救い出してくださった。今のイスラエルがあるのはこの出来事があったからこそだ」と思ったことでしょう。会衆はパウロの話に引き込まれていきます。パウロはそこからイスラエルの偉大な王ダビデのところまで一足飛びに話しを進め、そして「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださった」と述べます。イスラエルの民が自らの救いの原点と考えている出エジプトから始まり、荒れ野で養い、約束の地カナンの地を与え、裁き司を立て、王を与えられた。パウロはこれらの出来事を「神が…された」と繰り返し語ることによって、これらはすべて偶然の積み重ねではなく、神の計画による出来事なのだということを強調しています。そして、その計画の到達点に、神さまが「ダビデの王位を継ぐ者を永久に祝福する」という約束、その約束に従って神さまが送ってくださったのが主イエス・キリストなのですと証ししているのです。神の救済計画の始まりはあの偉大な出エジプトの出来事でありましたが、その救済計画の中心、到達点はイエス・キリストにあるということを証ししているのです。神は、ダビデの時代から何百年も前に「あなたの子孫から救い主が起こる」と約束されました。そしてその約束は、イエス・キリストによって成就しました。ここに神の計画の確かさがあります。

人は約束を破ることがあります。しかし神は、決して約束を破られません。歴史を通して、神は一つの方向へと人々を導き、ついに救い主イエス・キリストをこの世界に送ってくださったのです。

 

4 救い主イエス・キリストはすべての人のために来られた(結論)

パウロはさらに洗礼者ヨハネの証言を引用します。ヨハネは、当時の人々から「あなたが救い主なのですか」と問われていました。しかし彼はこう答えました。

「わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。」

ヨハネは、イエスの偉大さを知っていました。イエスは単なる預言者でも、偉人でもありません。神の救いの計画の頂点として来られた「救い主」です。

そして重要なのは、主イエスが来られたのは「特別な人のため」ではなく、すべての人のためだということです。ユダヤ人のためだけではない。律法を守ることが出来たり、道徳的に立派な人たちだけのためでもない。聖書に詳しい人だけのためでもない。特別な資格を持つ人のためでもない。むしろ、「自分は弱い」「自分は足りない」「自分は迷っている」そう感じている人のためにこそ、主イエスは来られました。主イエスは、神から離れ、迷い、罪の重荷を抱える人々を救うために来られたのです。

ここまでパウロは、「神は歴史を導き、約束を与え、イエスを送られた」と語ってきました。では、その神さまの救済計画は、私たちの人生とどう関わっているのでしょうか。

神さまが世に遣わされた救い主イエス・キリストは、私たちの罪を背負って十字架の上で死なれました。神さまは、十字架の主イエスを通して私たちに赦しを与えられます。そして主イエスは復活して、今も生きておられます。主イエスを信じる者は、神と共に歩む新しい人生へと招かれています。神はあなたを愛し、あなたの人生を導き、あなたを救いへと招いておられます。イエス・キリストは、あなたのために来られた救い主です。

もし、あなたが「自分の人生に意味を見出したい」、「神さまの愛を感じて生きたい」、「新しい歩みを始めたい」、そう願うなら、神さまの救済計画は、まさにあなたのためのものです。どうか、イエス・キリストを通して示された神の愛と救いを心に受け取って頂きたいと願います。

日本基督教団 横須賀上町教会

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