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過去の説教

2026年6月21日

「宣教者を送り出す教会」

野比教会主日礼拝(聖霊降臨節第5主日) 2026.6.21 杉野信一郎

「宣教者を送り出す教会」

  • 聖  書 使徒言行録13章1~12節

  • 中心聖句 使徒13:3 そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた

  • 讃 美 歌  345、464


1 宣教者と教会

愛する野比教会の皆様、おはようございます。本日は、野比教会と横須賀上町教会の交換講壇ということで、1年ぶりにこの講壇に立たせて頂いて、皆様方とともに礼拝を守ることが許されましたこと、心から感謝している次第です。

折しもこの季節は、各地の教会で新しい牧師の就任式が行われており、私も先週は横浜の蒔田教会の牧師就任式に参列し、今日も午後から二宮教会の牧師就任式に出席する予定となっています。また、今週の土曜日に開催される神奈川教区総会では、この教会の加太典子先生の按手礼が執行され、来月12日にはこの教会で就任式が執り行われると伺っておりますので、是非とも参列して就任をお祝いしたいと思っているところでございます。このような中で、今日は、使徒言行録13章の初めのところのみ言葉が与えられました。使徒言行録は、イエス・キリストが天に上げられた後、ペンテコステの日に弟子たちの上に聖霊が降り、聖霊の働きによって世に散らされていった使徒たちの宣教の働きが記されている書物ですが、13章以降は、専ら使徒パウロの宣教旅行の様子が記されています。今日は、そのうち、パウロの宣教旅行の出発の場面と、最初の宣教の地であるキプロス島での出来事から、御言葉の奉仕に当たる宣教者の働きとはどのようなものであるのか、また、教会は宣教者の働きに対してどのように関わっているのかを共に考えてまいりたいと思います。

 

2 多様な人々が連なるアンティオキアの教会

さて、使徒パウロは3度にわたる宣教旅行を通じて異邦人の世界にイエス・キリストの福音を伝えていく大切な働きを展開していくことになるのですが、その出発点となったのが、アンティオキアの教会です。アンティオキアの町の位置は、聖書巻末の地図に「7 パウロの宣教旅行1」と「8 パウロの宣教旅行2,3」という2枚の地図がありますので、ご確認ください。アンティオキアは、元々、セレウコス朝シリアの首都でしたが、紀元前64年にローマ帝国のシリア州総督府が置かれて以降、ローマ、アレクサンドリアに次ぐローマ帝国第3の帝都となりました。人口約50万の大商業都市で、ギリシア系やローマ系の人たちのほかユダヤ人やユダヤ教への改宗者も多数住んでいました。また、エルサレムでキリストの信者たちへの迫害が行われるようになってからは、多くの信者たちがエルサレムから逃げ出して、アンティオキアの町にも多数の信者たちが移り住んできました。アンティオキアの教会は、そのような人たちによって形成されました。1節には、アンティオキア教会の5人の指導者たちの名前が記されています。最初に名前が挙げられているのがバルナバです。バルナバは、キプロス島出身のヨセフという名のレビ人で、まだ神殿で礼拝をしていた頃の最初期のエルサレム教会のメンバーでした。バルナバというのは「慰めの子」という意味のあだ名です。使徒言行録には、彼が持っていた畑を売り払って教会を援助したこと、迫害者から回心したサウロを信じて彼をエルサレム教会の使徒たちに取り次いだことなどが記されていて、エルサレム教会からアンティオキア教会に監督として派遣されていた彼は、アンティオキア教会の筆頭格の指導者であったと考えられています。二人目は、ニゲルと呼ばれるシメオンです。ニゲルとはラテン語で「黒い」という意味ですから、おそらく彼は黒人であったと思われます。またシメオンというユダヤ人的な名前なので、元々ユダヤ教への改宗者であって、その後、キリストを信じるようになったのかもしれません。三人目のキレネ人のルキオですが、キレネというのは北アフリカの都市の名で、五旬祭の日、イエスを信じて集まっていた者たちの中に、キレネに接するリビア地方などに住む者もいたとの使徒言行録の記述がありますので、ルキオは、五旬祭の日の出来事を目撃してキリストを信じるようになった人なのかもしれません。それから、マルコによる福音書を見ると、イエスが十字架につけるために総督官邸の外に引き出されたときに、アレクサンドロとルフォスの父でシモンという名のキレネ人が、田舎から出てきて通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせたという記述がありますが、もしかしたら、二人目のニゲルと呼ばれるシメオンは、この時のシモンという名のキレネ人であったかもしれません。四人目は、領主ヘロデと一緒に育ったマナエンです。領主ヘロデとは、ヘロデ大王の息子の一人で、洗礼者ヨハネの首を撥ねさせたことで有名なヘロデ・アンティパスのことです。彼は、兄のアルケラオと共に、若い頃、ローマ在住の身分の高いユダヤ人の下で育てられましたが、マナエンはその時のユダヤ人の息子であったと考えられています。そして、五番目に名前が挙がっているのがサウロです。サウロは、かつて熱心なファリサイ派の指導者としてキリスト者迫害の急先鋒に立ちましたが、キリストの昇天から3年後の紀元後33年、ダマスコ途上で復活の主イエスと出会って回心してキリスト者となりました。ただ、彼がキリスト教会の指導者として立てられるにはさらに時の経過を要しました。回心の後3年間をアラビアで過ごし、一旦エルサレムに滞在した後、故郷のタルソに引っ込み、それからアンティオキア教会の指導者として活躍するには約14年の時を要しました。彼がアンティオキア教会の5人の指導者の最後に記載されているのは、そのような事情を反映しているのでしょう。

いずれにしても、この5人の指導者たちは、人種も出身地も、育った社会的環境も様々でした。このように、アンティオキア教会には、多様な背景を持った人たちが集められ、キリストの名の下に一つにされていたことがよくわかります。それこそが教会という共同体の特長であり、その特長故にキリスト教は世界宗教として発展することが出来たのです。このことは、今日の私たちの教会形成を考える上でもよくよく心に留めておくことが必要です。私たちはともすると、気心が知れた自分と同じような背景を持った仲間たちと群れ、同質の者たち同士で群れがちですが、教会の交わりはそうであってはなりません。教会はキリストの身体であると言われます。体に様々な器官があって全体で一つの身体として機能しているように、教会も、様々な背景や賜物を持った人が集められ、互いに助け合い、補い合い、尊重し合って、一つのキリストの体を形成し、主の宣教の御業を果たすのです。

 

3 断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた教会

アンティオキアの教会で、人々が集まり、主を礼拝し、断食をしていました。礼拝の内容は、御言葉の説教と、賛美と祈りであり、5人はその指導に当たっていました。するとその時、聖霊が彼らに新しい計画を告げたと言います。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」バルナバは郷里であるキプロス伝道に強い使命感を持っていました。サウロはその召命の時から異邦人伝道を志していました。その思いは、日頃から教会の人々に語っていたことでしょう。しかし、アンティオキア教会には様々な地域から集まった多様な人々が集う教会です。5人の指導者がいたとはいえ、アンティオキアにおける宣教や教会に集まる人々に対する牧会をはじめとして教会の仕事はいくらでもあったことでしょうから、二人の海外宣教の願いを聞いても、そう簡単に「はい、どうぞ」と言えるような状況ではなかったことでしょう。しかし、教会は困難な課題にぶつかった時には祈ります。彼らは、断食をしてまでも真剣に祈りました。その結果、聖霊のお告げが下されたのです。聖霊のお告げが示されて、教会は、二人を教会の仕事から解放し、主が求められた新しい任務に向かわせることを決断しました。二人がいなくなれば教会が困ることは確かです。それでも、たとえ痛みがあったとしても、それが御心ならば従おうと決心します。それが聖霊の働きです。先日、私が出席した牧師就任式でも、その牧師が前にいた教会の信徒さんたちが何人も出席しておられました。その教会は、その牧師が辞任した後の後任がまだ見つかっていなくて無牧だということでしたが、それでも辞任した牧師の新しい任地での働きに祝福の言葉を述べるのです。それが神の御心と信じるからです。かくしてアンティオキア教会の人々も、バルナバとサウロの上に手を置いて、二人をキプロス島での宣教に向けて送り出しました。按手は選び分かつ聖霊の働きを受ける手段で、それを教会全体で確信する方法です。この按手によって、二人は教会から派遣された使徒として公認され、送り出されるのです。ここで示されていることは、宣教というものは、決して宣教者個人の思いや努力でなすものではなく、教会が一つになって祈り、賛美しているところに聖霊の呼びかけが降り、それに応えていこうとするところに起こされるものだということなのです。

 

4 最初の宣教地での霊的な戦い

さて、教会員たちの祈りの中で聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、キプロス島に向けて旅立ち、島の東岸にあるサラミスに上陸します。実は、キプロス島にキリスト教の福音を伝えたのはバルナバとサウロが初めてではありませんでした。遡ること10年ほど前のステファノの石打の刑から始まった迫害を避けてエルサレムから散らされた人々の中にはキプロス島に来た人たちもいました。しかし、その時の最初の伝道者たちの働きが実を結ぶことが出来なかったということでしょうか、バルナバとサウロが訪れた時にはキリスト教の教会はなかったので、彼らはユダヤ人たちの会堂で伝道を開始しました。二人の伝道は評判を呼び、そのうわさは、当時、キプロス島を管轄していたローマの地方総督であったセルギウス・パウルスの耳にも入ります。総督は、彼らの語る神の言葉を聞こうと思ってバルナバとサウロを招くのですが、そこに邪魔が入ります。それは、魔術師エルマとも呼ばれる偽預言者バルイエスです。彼は、総督がバルナバとサウロの話を聞くことによって、それまで彼が総督に取り入って得ていた官邸付きの魔術師というような地位を奪われてしまうことを怖れて、妨害してきたのです。バルイエスとはイエスの息子という意味ですが、サウロは、彼がイエスの息子どころか悪魔の子であることを見抜き、彼に向かって「主の御手がお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」と預言すると、彼はたちまち目が見えなくなってしまったのです。この様子を見て、総督は主の教えに驚き信仰に入ったと書かれています。ここで使徒言行録が強調していることは、それが宣教者の個人的な力によるものではなく、聖霊の働きによるものだということです。この事件は、これから始まるパウロの宣教活動が、使徒の働きではあるけれども、本質的には聖霊の働きによるもの、悪霊と聖霊との戦いであることを示しています。それは、この事件以降、サウロという名前がパウロという名前に変わっているということにも表れています。サウロという名前は、彼が属するベニヤミン族出身の初代イスラエル王のサウルに因むもので、「神を尋ね求める」という意味ですが、サウル王はその名のように生きることが出来ませんでした。一方、「パウロ」はラテン語で「小さい」とか「少ない」といった意味があります。このことから、サウロの改名は、それまでの「神に尋ね求めることに失敗していた生き方から、神の前に小さいものとして生きる者へと変えられたことを象徴的に表しているのだと思います。そのことによって、この後、パウロは、その名と反対に、異邦人世界にキリストの福音を宣べ伝えていく大きな働きを成していくのです。

 

5 教会の使命と聖霊の働き

今日は、使徒パウロの宣教旅行の始まりの時の様子を見てまいりましたが、そこで語られていた大切なことは、宣教者の働きというものは、決して牧師などの個人的な働きではなく、教会の働きであるということ、教会が送り出し、教会の祈りによって支えられている働きだということです。宣教には、様々な困難が生じます。立ち行かなくなりそうになることもしばしばです。しかし、その働きを励まし、前進させる教会の祈りがある時、宣教者は慰められ、力を得ます。そして、福音宣教の働きを進めてくださる本当の主体は、聖霊です。ですから、私たちは、いつも聖霊を豊かに送ってくださいと祈るのです。

今週、野比教会の加太典子先生は按手礼を受けて正教師として立てられて行きます。彼女が担う宣教の業には、これからも多くの困難が伴うことでしょう。けれども、皆さんが聖霊の助けを求める祈りを献げ、加太先生とともに福音宣教の前進を祈り求めるならば、神さまはその祈りに応えてくださり、豊かな実りを与えてくださることでしょう。どうかこれからも、教会の福音宣教の働きを覚え、絶えず祈り続けてください。そして、この野比教会の働きに主の祝福が豊かにありますように。

日本基督教団 横須賀上町教会

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