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2026年6月14日
「苦難の中の賛美」
横須賀上町教会主日礼拝(聖霊降臨節第4主日(子どもの日(花の日)))2026.6.14 杉野信一郎
「苦難の中の賛美」
聖 書 使徒言行録16章16~34節
中心聖句 使徒16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
讃 美 歌 こ51、479、517
1 フィリピ訪問(導入)
ペンテコステの日に聖霊が弟子たちに降った後、イエス・キリストの十字架と復活の福音が世界各地へと宣べ伝えられていきましたが、その働きに用いられたのはイエス・キリストの十二使徒だけではありませんでした。使徒言行録には、使徒たちによってなされた福音宣教の業の中で、特にペトロとパウロの働きについて克明に記されています。パウロは十二使徒ではなく、パウロ自身、「わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者」だと言っていますが、福音を異邦人の世界にまで広げていくことに関しては最も大きな働きをなした人物です。
今日示された16章は、そのパウロがフィリピの町を訪れた時の出来事が記されています。彼が2回目の伝道旅行において、初めて足を踏み入れたヨーロッパの地がフィリピでした。フィリピは、紀元前4世紀にマケドニア王フィリッポス2世が自らの名を冠して建てた東マケドニア地方第一の都市で、紀元前1世紀にはローマの植民都市となり、ギリシア系の住民のほか、多くのローマ人が住んでいました。
パウロは、伝道旅行で新しい土地に入るとまずはユダヤ人の会堂を訪れて、そこから宣教活動を展開することが常でしたが、フィリピにはユダヤ人が少なく、ユダヤ人の会堂がなかったためか、パウロの一行は安息日の日に町の門を出て、川岸にある「祈り場」と呼ばれる場所に出向いて行って、そこに集まって身を清め、祈りを献げていた婦人たちに向かって福音を語りました。すると、その中にいた紫布を商う商人のリディアという婦人がパウロの話を注意深く聞いて、彼女と彼女の家族が洗礼を受けたと記されています。ヨーロッパにおけるクリスチャン第1号の誕生です。このリディアという女性、口語訳ではルデヤと言っていますが、元々、出身地のティアティラ市が属する小アジアのリディア地方に因んだその名前は、やがてギリシア語で「神を敬う」という意味を持つようになります。それは、このルデヤさんという女性が、高い教養を持った経済的にも自立した女性であり、パウロが語った福音に積極的に耳を傾け、子供や親戚、奴隷に至るまで洗礼を受けさせ、その家庭をパウロたちに喜んで解放した信仰の姿によるものだと言えるでしょう。
2 悪霊追放と投獄(展開1)
パウロの一行は、このリディアが通っていた祈り場を足場としてフィリピの宣教活動に取り組んでいきますが、そこに向かう途中で一つの事件に遭遇します。それは、占いの霊に取り憑かれた女奴隷との出会いに端を発して起こりました。「占いの霊」というのは、ギリシアの主神ゼウスの息子で予言の神とも言われるアポロンを祀るデルフィ神殿の託宣を告げる霊のことで、この女奴隷は、その託宣を腹話術のように語り、彼女によって自分の将来を占ってもらおうとした人たちは、そのために少なからざる礼金を支払い、それによってこの女奴隷の所有者は多くの収入を得ていたのです。
ところがこの女奴隷がパウロたちと出会うたびに彼らの後について来て「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と言うものですから、パウロたちは困ってしまいました。悪霊は、「この人たちは、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」とパウロたちのことを正しく伝えているのですが、律法では「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」とされているので、「この人たちは、いと高き神の僕」だと言われるのは困るのです。それでパウロはたまりかねてその霊に向かって「イエス・キリストの名によって、こ の女から出て行け」と命じると、たちまち悪霊は女奴隷から出て行って、女奴隷はもはや託宣を語る力を失ってしまったのです。
その結果、この女奴隷を使って金を稼いでいた主人たちは、腹を立てて、パウロとパウロに随行してきたシラスを捕らえ、広場に引き立てて行って、二人を役人たちに渡してこう言いました。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」果たして彼らのこの訴えは的を射た正当なものであったと言えるのでしょうか。「占いの霊を追い出した」ということだけでは、ローマの法律違反として訴えることは出来ません。また、この騒ぎを見ていた群衆も同調して騒ぎ立てていますから、パウロたちは単に女奴隷の主人たちの利益を侵害したというだけでなく、フィリピの一般市民たちにとっても好ましからざる行為をする人たちと見られたということでしょう。当時、ローマ帝国内ではユダヤ教は黙認されていたものの、ローマ市民に対して外来宗教であるユダヤ教を布教することは許されていませんでした。もし、それをすれば治安妨害者として裁かれることになったでしょう。フィリピのユダヤ人たちが町の門の外に祈りの場を持っていたのもそのような事情があったからでしょう。日頃からユダヤ人たちに不信の目を注いでいた市民たちは、パウロたちがユダヤ人社会の中だけでなく、一般市民に対しても悪影響をもたら しかねない教えを語る危険な人物であると見做して、女奴隷の主人たちの訴えに同調して騒ぎ立てたのです。
それに対して、ローマの役人たちは、二人を裁判にかけることもせず、群衆が見ているアゴラと呼ばれる広場で直ちに二人の衣服をはぎ取り、何度も鞭打ちをしてから、足枷をはめて、投獄しました。法治国家であるローマ帝国内で裁判にかけずに市民に刑罰を加えることは許されない行為ですから、ローマ市民権を持っているパウロにしてみたら、これは不当行為に外なりません。役人たちは、法を正しく執行することよりも、群衆の騒動を鎮めることの方が大切だと考えてそのようにしたのでしょう。しかし、パウロたちは何の反論もせずに、この不当な暴力行為を甘んじて受けているように見えます。もしかしたら、反論はしたのだけれども群衆の声に搔き消されて役人たちにその声が届かなかったのかもしれませんが、実際のところは不明です。とにもかくにも、二人は初めて訪れた異邦の地で捕らえられ、鞭打たれ、獄に入れられてしまいます。その心中は、いかばかりであったかと思います。しかも、このような経験はこの一回限りのことではありませんでした。パウロは自身の手紙で「鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」と語っています。このようにパウロの宣教の旅は、常に苦難を伴うものでした。けれどもパウロは、いつもイエス・キリストの苦難を思い、そのことを通して、自らの弱さを誇りとし、苦難を喜びとして、宣教の業を続けていったのです。
3 獄中の賛美とその後の出来事(展開2)
捕らえられ、民衆の面前で鞭打たれるという、理不尽な辱めを受けた後、パウロとシラスは、獄舎の一番奥の牢に投げ込まれました。鞭打たれた傷はひどく疼き、閉ざされた牢の闇は、先が見えない不安を余計に掻き立てたに違いありません。そうした痛みや苦しみに加えて、何故、自分たちはこんな酷い目に遭わなければならないのか、何が悪かったのか、誰が悪かったのか、一生懸命に犯人探しをし、誰かを悪者にし、あるいは自らを悪者にし、誰かを呪い、あるいは自らを呪う。突然、理不尽な不幸に陥った時、そのような思いに捉われて、眠れない夜を過ごすのが普通でしょう。しかし、パウロとシラスは、捕らわれた日の真夜中ごろ、一番奥の真っ暗な獄の中で、賛美の歌を歌って、神に祈っていたのです。彼らは何を祈り、何を賛美したのでしょうか。「神よ、あなたの福音を伝えるために働いている我々が、どうしてこんな目に遭わなければならないのでしょうか?」という神に対する怒りや不信の思いでしょうか。それとも、「神よ、わたしたちはこのような酷い境遇に耐えられません。わたしたちを顧みて、何とか救いの手を差し伸べてください。」という救いを求める祈りでしょうか? 確かに、苦難の中にあって神の存在を忘れず、神に問い、神に救いを求めることが出来るだけでも大変素晴しいことだと思います。しかし、パウロとシラスの祈りと賛美はそれだけに留まるものではなかったはずです。彼らの祈りと賛美にあったのは、神に仕える喜びと信頼です。その喜びと信頼を歌う賛美の声が、暗く静かな獄舎の中に響き渡っていきました。「ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」と書かれています。ほかの囚人たちは不思議に思ったのでしょう。パウロとシラスに向かって、誰一人として「うるさい、静かにしろ」と言う者はありませんでした。二人が歌う賛美と祈りは、ほかの囚人たちの心に沁みわたっていきました。
その時、突然、大地震が起こりました。聖書を紐解くと、神は重要な場面で地震を起こされていることに気付かされます。神がモーセに十戒を与えられた時、山が激しく震えました。イエス・キリストが十字架の上で息を引き取った時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こりました。復活の日、マグダラのマリアが墓を見に行った時も大きな地震が起こりました。そして、この時にも大地震が起こり、牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖が外れました。これは、パウロとシラスの賛美と祈りに対する神の応答であり、奇跡です。しかし、本当の奇跡はこれに続いて起こりました。
地震によって囚人が逃げてしまったと思い込んだ看守たちは責任を取って自殺しようとしましたが、パウロとシラスによって留められます。囚人たちは一人残らず逃げずにパウロたちとともにその場にとどまっていたのです。そして、そのことを知って、看守たちはパウロとシラスの前にひれ伏して、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」と尋ね、看守とその家族全員は洗礼を受けて神を信じる者となりました。
4 苦難の中の賛美(結論)
パウロの異邦人伝道は、このようにして前進し始めました。その道は、決して平坦なものではなく、大きな苦難を伴いました。しかし、その苦難は決して福音の進展を妨げるものではなく、福音を担う者の苦しみそのものが祈りと賛美の声を起こさせ、まだ主イエスを知らない人々に、救いの喜びを伝える力となりました。それは、パウロたち、最初期の宣教者だけにとどまりません。
第二次世界大戦中のドイツ、多くの教会がヒトラーを称賛する流れの中で、イエス・キリストこそが主であると告白し、抵抗した「教会闘争」を担った一人にディートリッヒ・ボンヘッファーという牧師がいました。彼は、誰もがヒトラーに従う時代に、主イエスに従う者として、ナチスに抵抗し、ヒトラーの暗殺計画にさえ加わったことで、捕えられ、収容所に送られ処刑されましたが、その獄中で多くの論述と神を賛美する詩を残しました。中でも、彼が処刑される数ヶ月前に婚約者のマリアと家族に送った詩は、「善き力にわれかこまれ」という神への信頼を歌う讃美歌となり、今も多くの信仰者に親しまれています。
パウロやシラス、ボンヘッファー、彼らはどうしてあんな厳しい苦難の中にあっ て賛美の歌を歌うことができたのでしょうか。彼らが優れた特別の信仰者だったからでしょうか。確かに真実なキリストの証人は苦難にあっても賛美をし続けることを止めないし、また、そのことによっていよいよ真実な証人になるということは言えるでしょう。しかし、それは特別に優れた信仰者だけに言えることではないのです。同じく第二次世界大戦中に、ヒトラーによるユダヤ人の大虐殺、いわゆるホロコーストの悲劇が起こりましたが、有名なアウシュビッツ収容所の地下室の壁に次のような言葉が刻まれているのが発見されました。「太陽が輝かなくても、私はあなたを信じます。」「沈黙の中でもあなたを信じます。」これは名もない信仰者の祈りの言葉ですが、そこには確かな神への信頼が語られています。
彼らにとって、自分が受けている苦難に意味があるかどうかなどということは、恐らく大して重要なことではなかったのです。意味は神さまが考えてくだされば良い。彼らにはもっと重大なことがありました。それは牢獄の外であろうが、中であろうが、神様の御前にあるという事実です。イエス・キリストの十字架によって罪が赦され、救われた者として、神の子供とされた者として、神の御前にあるという事実です。だから牢獄の中でも同じように主を礼拝することもできるし、先が見えなかろうと主に信頼することもできるし、自分の命さえも主にお委ねすることができる。
人間の置かれている状況は刻一刻と変化し、それが自分の人生に決定的に重要なことと思ってしまうことも起こりますが、それでもいつもと同じように主を礼拝し、祈り、賛美することができるなら、本当に大事なものは何も奪われていないのです。そのことに気付かされて、どんな時も変わらず神に祈り、賛美できるところに、キリスト者の真の平安が与えられるのではないでしょうか。
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