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過去の説教

2026年5月10日

「悲しみが喜びに変わる」

横須賀上町教会主日礼拝(復活節第6主日)2022.5.10 杉野信一郎

「悲しみが喜びに変わる」

聖  書 ヨハネによる福音書16章12~24節

中心聖句 ヨハネ 16:20 はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。

讃 美 歌  こ31、498、479


1 “悲しみ”という現実の中で(導入)

私たちの人生には、避けようとしても避けられない悲しみがあります。 愛する人との別れ、思いがけない病、将来への不安、努力が報われない虚しさ。 信仰者であっても、悲しみは容赦なく訪れます。

イエスが弟子たちに語られたこの箇所も、まさに悲しみの予告から始まります。今日、読まれました箇所も、先週に続いて、主イエスが最後の晩餐の席上で弟子たちに向けて語られた決別説教と呼ばれる長い説教の中からのメッセージです。主イエスはこの時、十字架を目前にして、弟子たちがこれから経験するであろう深い悲しみを知っておられました。 しかし同時に、主イエスはこう語ります。「あなたがたの悲しみは喜びに変わる」

この言葉は、単なる慰めではありません。主イエスは、ここで、悲しみそのものが喜びへと変質するという、驚くべき福音を語られたのです。

 

2 “今は理解できない”という現実(展開1)

主イエスは弟子たちにこう言われました。12節です。「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。」これは、どういうことでしょうか?言っておきたいこととは、いったいどういうことなのでしょうか? ここで「理解できない」と訳されている言葉は、元は「担う」という意味のバスタゾーというギリシア語ですので、主イエスがここで言わんとしていることは、ご自身がこれから直面する十字架の死という重大な出来事は、あなたがたにはまだまだ担えない。あまりの悲しさにあなたがたは、その現実を受け止めきれず、主イエスの十字架の死の本当の意味をまだ理解できないということだろうと思います。

弟子たちは、この主イエスの言葉を聞いて戸惑いました。理解できませんでした。 私たちも同じです。 人生のある瞬間、神が何をしておられるのか、なぜこの道を通らねばならないのか、どうしてこんな悲惨な現実に晒されなければならないのか理解できないことがあります。しかし主イエスは、理解できないことがあること自体を責めません。むしろ、理解できない私たちに寄り添い、時が来れば理解できるように導くと約束されます。そのために与えられるのが、真理の御霊です。13節にこう書かれています。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」また8節では「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」と言っています。そして、その方とは7節で出てくる「弁護者」のことです。今、主イエスは、この世を去って、主イエスを世に遣わされた父なる神の身もとに行こうとしているのだけれども、実を言うと、主イエスが去って行くのは、あなたがたのためになるのです。なぜなら、主イエスが世を去れば、主イエスに代わって、弁護者をあなたがたのところに送るからだと言うのです。この弁護者こそ「真理の霊」、すなわち聖霊です。

 

3 “しばらくすると”(展開2)

イエスは弟子たちにこう言われます。16節です。

「しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」すると、弟子たちは、「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」と互いに言い合うのです。弟子たちは、主イエスが言われることを理解できないのです。これは、どういうことでしょうか。私たちは聖書を通して、見なくなるというのは、十字架の死を指していて、また見るようになるというのは、主イエスが三日目に復活されて弟子たちの前に現れることを指しているのだということを知っています。しかし、弟子たちにとって、それはこれから起こる未知の出来事です。ガリラヤからエルサレムに向かう途上、主イエスからご自身の受難の予告は何度も聞かされてはいても、死んだ人が復活するなどということは見たことがありませんし、それ以前に、異国の支配下にあるイスラエルを救う救世主メシアと信じてこれまで従ってきた主イエスが、十字架刑という極刑に処せられて殺されるということは、敗北以外の何ものでもないとしか受け止められず、弟子たちは主イエスの受難予告を差し迫った事実として受け止めることが出来なかったのだと思います。ここで「しばらくすると」という言葉が何度も繰り返されていますが、弟子たちは、この「しばらくすると」という言葉にも、これはいったい「何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」と言って、不安を募らせています。何だかよく分からない恐ろしい出来事が起こるそうだが、それがいつなのか分からないということで、余計に不安が掻き立てられています。実際、この「しばらく」というのは、どれくらいの間なのでしょうか。私たちは、この「しばらく」という言葉を「しばらくぶりだね」という風に使いますが、その場合、かなりの日数という意味で使っていますね。ところが、ここで書かれている「しばらくすると」という言葉を見てみると「小さい」とか「僅かな」という意味のミクロンというギリシア語が使われているので、弟子たちは、この恐ろしい出来事が間近に迫っていると感じて不安を募らせていたのではないかと思います。そして、実際、主イエスは、この僅か一日後、十字架に架けられ、主イエスを失った弟子たちは、絶望し、恐れ、散り散りになりました。 彼らの悲しみは、それほどに深く、暗く、出口が見えないものであったのです。

私たちも、神が見えなくなるような時を経験します。 祈っても応えがないように感じる時、 信仰が空虚に思える時、 神が沈黙しているように思える時があります。

しかしイエスは続けます。「しかし、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」

これは復活の約束です。 弟子たちの悲しみは、復活のイエスに出会うことで、根源から変えられました。20節です。「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」

主イエスを十字架刑に追いやったユダヤ人たちは、それを喜びましたが、弟子たちは、泣いて悲嘆に暮れました。しかし、その悲しみは、三日目には喜びへと変えられたのです。


4 “悲しみが喜びに変わる”(展開3)

イエスは、悲しみが喜びに変わることを、出産のたとえで語られました。

「女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出せない。」

ここで重要なのは、 苦しみが消えるのではなく、苦しみが喜びに変わるという点です。出産の痛みは、子どもが生まれた瞬間に「なかったこと」になるのではありません。むしろ、その痛みがあったからこそ、喜びは深く、豊かになるのです。同じように、十字架の悲しみがあったからこそ、復活の喜びは完全なものとなりました。

私たちの人生でも、悲しみがあったからこそ見える喜び、涙があったからこそ知る慰め、失ったからこそ気づく恵みがあります。イエスは弟子たちにこう言われます。

「あなたがたの喜びを奪う者はいない」

この喜びは、状況によって左右される喜びではありません。成功や健康や人間関係が整っている時だけの喜びではありません。イエスが与える喜びは、 復活の主が共におられるという事実に根ざした喜びです。主イエスはこの地上を去って、天の父なる神のもとに帰られましたが、それと同時に、わたしたちを導いて真理を悟らせてくださる真理の霊であり、弁護者である聖霊を私たちの心の内に送ってくださり、その聖霊の働きによって、私たちは、父、子、聖霊なる三位一体の神の交わりの中に招かれるのです。だからこそ、病があっても、不安があっても、涙があっても、この喜びは奪われることはないのです。


5 あなたがたの心は喜びに満たされる(結論)

イエスは最後に、祈りについて語られます。

「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。」「願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」

祈りとは、神に願いを届けるだけでなく、悲しみのただ中で、神の喜びに触れる道です。

イエスの名によって祈るとは「イエスの心に一致して祈る」ということです。その祈りは、私たちの悲しみを神の御手に委ね、神が悲しみを喜びへと変えてくださる道を開きます。

イエスは弟子たちに、そして私たちに、こう語られます。「あなたがたの悲しみは喜びに変わる。」これは、「悲しみがあっても頑張れ」という励ましではありません。「悲しみは無意味ではない」という慰めでもありません。これは、 神が悲しみを喜びへと変える方であるという、揺るがない福音です。十字架が復活へと変えられたように、私たちの悲しみも、神の御手の中で必ず変えられます。だからこそ、悲しみの中にある時こそ、イエスの言葉を握りしめたいのです。

「あなたがたの心は喜びに満たされる」

この約束が、今日の私たちの歩みを支えますように。

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